矢はもう、ここにはない。
音もなく、風を裂いて、遠くの的へと向かっていった。
けれど彼女は、まだそこにいる。
弓を構えたまま、わずかに残る余韻の中で、静かに呼吸をしている。
それが、残心。
放ったあとにこそ、その人のすべてが現れる時間。
力は抜けているのに、姿勢は崩れない。
視線は揺れず、ただまっすぐ先を見つめている。
成功か失敗かなんて、まだ関係ない。
ただ「放った」という事実と、その一瞬に込めたものだけが、そこに残る。
朝の光が差し込む道場。
木のぬくもりと、静かな空気。
舞う埃さえ、どこかゆっくりと流れていく。
彼女の中にあるのは、達成感でも、後悔でもなく、
ただ、澄んだ空白のような感覚。
すべてを出し切ったあとにだけ訪れる、静けさ。
もしかすると、人が何かを本気でやりきったとき、
最後に残るのは、この「何もないような感覚」なのかもしれない。
だから彼女は、まだ弓を下ろさない。
その一瞬を、もう少しだけ、そこに留めておくために。
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