2026年4月2日木曜日
光の中で、あなたを待っていた
あの夜のことを、うまく言葉にできない。
ただひとつ言えるのは、
あれは戦の時代の景色ではなかった、ということだ。
荒れた神社の跡。
崩れた柱と、苔むした石段。
誰もいないはずの場所に、
やわらかな光が降りていた。
夜なのに、不思議と暗くはなかった。
空から差し込む光は、まるで意思を持っているみたいに、
ひとつの場所へ集まっていた。
その中心に、彼女はいた。
舞を終えたばかりなのだと思う。
白い衣は静かに揺れ、
空気に残る余韻だけが、まだそこにあった。
彼女は、ゆっくりと面を外した。
その動きは、とても自然で、
けれどどこか現実から浮いていた。
手に残された能面。
そして、現れた素顔。
あまりにも整いすぎたその顔は、
人のものというより――
「誰かの理想」が形になったようだった。
目が、合った気がした。
ほんの一瞬。
でも、その中に確かに感情があった。
驚きでもなく、喜びでもなく、
ただ――少しだけ、安心したような表情。
「やっと来てくれた」
そんな言葉が、聞こえた気がした。
近づこうとした。
でも、足が止まる。
触れてしまえば、消えてしまう気がしたから。
彼女もまた、動かなかった。
ただ、こちらを見て、
ほんのわずかに微笑んでいた。
光が、少しずつ強くなる。
彼女の周りだけ、世界が違うみたいに。
やがて、その輪郭が曖昧になっていく。
最後に見えたのは、
手の中の能面と、
こちらを見つめる静かな瞳。
気づけば、光は消えていた。
残っていたのは、
冷たい空気と、壊れた神社だけ。
でも、不思議とわかっている。
あれは偶然じゃない。
あの舞も、あの視線も、
全部――誰かのためのものだった。
たぶん、あれは。
ずっと昔から、
ここで誰かを待っていたのだと思う。
そしてその「誰か」は――
少なくともあの夜は、
確かに、私だった。
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