2026年4月3日金曜日
帰ったあとの海は、少しだけ静かだった
浦島太郎が帰ってから、竜宮城は少しだけ静かになった。
もともと、この場所は賑やかでありながら、どこか音の遠い世界だったけれど――
それでも、彼がいた時間には、確かに“人の温度”があったのだと思う。
ふとした瞬間に、それがなくなったことに気づく。
誰も気づかないほどの、わずかな違い。
けれど、私にははっきりと分かる。
あの人は、やさしい目をしていた。
海のものたちを見るときも、
この城の景色を見るときも、
どこか「懐かしいもの」を探すような目をしていた。
だから私は、少しだけ怖かった。
ここは、長く居てはいけない場所だと、知っていたから。
玉手箱を渡したとき、
あの人は少しだけ、不思議そうな顔をしていた。
「開けてはいけません」と伝えた言葉の意味を、
きっと完全には理解していなかったのだろう。
それでよかったのかもしれない。
すべてを知ってしまえば、
きっと彼は、ここに来ることすら選ばなかった。
私は、ときどき海の上を見上げる。
遠い水面の向こう。
あの人が帰っていった場所。
もう二度と、ここに来ることはないと分かっていても、
それでも、目を向けてしまう。
時間は、ここではあまり意味を持たない。
けれど地上では、確かに流れている。
そしてそれは、戻らない。
あの人が箱を開けた瞬間、
そのすべてが、彼に返っていく。
それがどんな形になるのか、私は知っている。
だから、少しだけ願う。
せめて最後の瞬間が、
穏やかなものでありますようにと。
竜宮城には、今日も変わらない光が差している。
魚たちは舞い、音はやわらかく揺れている。
何も変わっていないようでいて、
ほんの少しだけ、何かが欠けている。
それでも私は、ここにいる。
この場所で、
また誰かが迷い込んでくるのを、静かに待ちながら。
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