浦島太郎が帰ってから、竜宮城は少しだけ静かになった。
もともと、この場所は賑やかでありながら、どこか音の遠い世界だったけれど――
それでも、彼がいた時間には、確かに“人の温度”があったのだと思う。
ふとした瞬間に、それがなくなったことに気づく。
誰も気づかないほどの、わずかな違い。
けれど、私にははっきりと分かる。
あの人は、やさしい目をしていた。
海のものたちを見るときも、
この城の景色を見るときも、
どこか「懐かしいもの」を探すような目をしていた。
だから私は、少しだけ怖かった。
ここは、長く居てはいけない場所だと、知っていたから。
玉手箱を渡したとき、
あの人は少しだけ、不思議そうな顔をしていた。
「開けてはいけません」と伝えた言葉の意味を、
きっと完全には理解していなかったのだろう。
それでよかったのかもしれない。
すべてを知ってしまえば、
きっと彼は、ここに来ることすら選ばなかった。
私は、ときどき海の上を見上げる。
遠い水面の向こう。
あの人が帰っていった場所。
もう二度と、ここに来ることはないと分かっていても、
それでも、目を向けてしまう。
時間は、ここではあまり意味を持たない。
けれど地上では、確かに流れている。
そしてそれは、戻らない。
あの人が箱を開けた瞬間、
そのすべてが、彼に返っていく。
それがどんな形になるのか、私は知っている。
だから、少しだけ願う。
せめて最後の瞬間が、
穏やかなものでありますようにと。
竜宮城には、今日も変わらない光が差している。
魚たちは舞い、音はやわらかく揺れている。
何も変わっていないようでいて、
ほんの少しだけ、何かが欠けている。
それでも私は、ここにいる。
この場所で、
また誰かが迷い込んでくるのを、静かに待ちながら。
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